サザエさんちで作文を見ている間塩野七生の講演を読む。
1998年に行った「21世紀を迎えるにあたって」(?)というような協和発酵出版の本。
そのなかの一説で教養について書かれていることが印象に残った。
教養に対して「役に立たない、それこそ教養だ」というような言い方があるが、それは19世紀の、
生活のために何もしなくていい社会での定義。自分(塩野)が考えている教養はむしろルネッサンススタイルの教養だ。ルネッサンスの時代は、自分の仕事(=専門分野)をするために、その内部の知だけではすまなくなった。ダビンチが絵画だけでなく、建築、絵画、医療などさまざまな分野を渡り歩いたのも、それによって今までと違った見方が可能になり、新しい進歩がうまれる。行き詰まった局面を切り開くものが教養だ、という考え方であったと思う。
目から鱗ではないけど、なんだかすとんと胸に落ちた。本の別の箇所で、「思考を硬直させないためには自分が知りたいと思う柱を一つしか持たないのではなく、何本も持つ必要がある」というようなことを話していたが、そのような柱を作ることができるのも教養の一つの役割だろう。教養とは「よりよい人間になるため」などという漠然としたものではなく、のっぺりとした自分にエッジをつくるものなのだと思った。
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